2012年5月29日火曜日

ベーゼンドルファー

ベーゼンドルファー

輝かしいウィーンの響き
音楽の都ウィーンで生まれ、「ウィンナー・トーン」と
呼ばれる響きをもつベーゼンドルファー。
その歴史は、徹底した手作業で貫かれ、
リストをはじめとするピアニストたちの評価によって支えられてきた。


創業者のイグナツ・ベーゼンドルファーは、
ウィーンの家具職人の家に生まれ、
オルガン職人を経て、ピアノ製作の道へと入った。
彼がピアノ製造業者として独立するのは1828年。
前年にはベートーヴェンが、同年にはシューベルトが没している。
ウィーンで過ごしたこうした音楽家たちの
名声が彼らの死後徐々に高まり、
「音楽の都ウィーン」という認識が確立していくのと平行して、
ベーゼンドルファーは発展をみせたのだった。
1830年には、早くもオーストリア皇帝より
「宮廷および会議所ご用達のピアノ製造者」の称号を得、
1839年と45年のウィーン博覧会でも、高い評価を受けた。
だが何といっても、ベーゼンドルファーの名を
一躍ヨーロッパ中に知らしめたのは、
当時の人気のピアニスト、リストだった。