2012年5月30日水曜日

19世紀のピアノの改良1

19世紀のピアノの改良

18世紀後半から19世紀前半にかけて、ピアノは、
ウィーンで技術的深まりをみせると同時に、
産業革命を経たイギリスに、次いでフランスに広まっていく。

ベートーヴェンとその周辺
ウィーンのフォルテピアノ製作は、1790年前後に急成長し、
シュタインの考案した「ウィーン式アクション」が
またたく間に普及した。
19世紀初頭にウィーンで活躍した製作者としては、
シュタインの娘ナネッテ・シュトライヒャーがいる。
生涯彼女と親しかったベートーヴェンは彼女に、
ウィーン独特の繊細な音色を守りつつ、
もっと音量が大きく、「強打に耐えうる」楽器への改良を求めた。
数年後、改良された楽器を目の当たりにしたベートーヴェンは、
中断していたピアノ・ソナタの作曲を再開し、
ピアノ協奏曲5番<皇帝>もこの楽器から生み出された。


スクエア・ピアノ
一方ドイツでは、七年戦争(1756~63)を避けて、
優れた楽器製作者たちがイギリスへ移住し、その技術を伝えた。
その代表格がヨハンネス・ツンペ(英名:ジョン・ズンペ)である。
ツンペはまた、小型で安価な楽器、
スクエア・ピアノの製作ラインも定着させた。
これは、単純な構造ながら、クラヴィコードよりも音量が大きく、
音楽表現の点でもニュアンスに富んでいたため、
18世紀末のイギリス社会で急速に普及していた。