2012年5月30日水曜日

ピアノの発明

ピアノの発明

現代のピアノの原型は、イタリアのクリストフォリによって
生み出されたといわれている。
その楽器は当時、「ピアノとフォルテの出るチェンバロ」と呼ばれていた。

クリストフォリ
楽器製作であり、メディチ家所蔵の楽器を修復する
楽器修復家でもあったバルトロメオ・クリストフォリ。
1700年に編纂されたメディチ家の楽器目録に、
クリストフォリが新しく発明した楽器についての記述があり、
ピアノの原型となる楽器は、
1690年代の終わりには製作されていたと推測される。


ジルバーマン
しかしクリストフォリのこの画期的な発明は、
彼の住むイタリアではさほど注目されなかった。
当時のイタリアでは、ピアノ(チェンバロ)は
声楽の伴奏楽器とみなされており、
まだ独奏楽器としての地位を与えられていなかったのである。
そんな中、クリストフォリの名は、ドイツでも知られるところとなり、
彼の技術を手本として製作を試みる楽器製作者が現れる。
ゴットフリート・ジルバーマンである。
ジルバーマン家は、主にオルガン製作者として活躍していた一族で、
そのひとりゴットフリートも、すでにクラヴィコードや
チェンバル・ダムールといった楽器を手がけていた。
ベルリンに招聘されたイタリア人歌手たちが、
おそらくクリストフォリの楽器をドイツに運び、ゴットフリートは、
評判の楽器に実際に触れる機会を得たのだろう。
彼は。クリストフォリのアクションをそのまま継承する一方、
手動式ではあったが、ペダルの機能を追加するなど、
独自の試みも行っている。
その製作技術の高さは、時のフリードリヒ大王も認め、
王はたくさんの楽器をジルバーマンに注文したという。
またすでに彼と交流のあったJ.S.バッハは、ジルバーマンの楽器を試奏し、
「高音域が弱い」といった問題点を指摘したが、
改良が重ねられた楽器には、大きな讃辞を贈ったとも伝えられている。
ゴットフリート・ジルバーマンは、ドイツにおける
ピアノ製作史の1ページを開いたのである。