2012年5月29日火曜日

ベーゼンドルファー手作業の精神

ベーゼンドルファー手作業の精神
1859年にイグナツが亡くなると、
息子のルートヴィッヒがその後を引き継ぐ。
翌年、新しい工場に移り、早速新しいアクションの特許を取得、
1870年には、さらに広い工場へと移転している。
1872年、リヒテンシュタイン皇太子の乗馬学校を、
その音響のよさからコンサート・ホールに改築して、
ベーゼンドルファー・ホールとし、
ハンス・フォン・ビューローのリサイタルで柿落としが行われた。
このホールは、1913年まで、ウィーンで
もっとも美しい室内楽ホールとして知られ、
アントン・ルビンシテイン、リスト、ブラームスなど
名だたる音楽家がここでコンサートを開いた。


そしてそれはまた、ベーゼンドルファーのピアノを
幅広く知らしめる機会ともなった。
1900年以降、ルートヴィッヒは、
反復音を容易にするイギリス式アクションや
扇状交叉弦を採り入れるなど、改良を推し進める。
1909年には、信頼する友人に事業を売却。
両大戦の被災や生産台数の落ち込みを経て、
第2次大戦後はアメリカの企業の手に渡った。
その後、オーストリアの銀行グループの傘下に入り、
2008年より、日本ヤマハの傘下となる。