2012年6月3日日曜日

ラフマニノフ ピアノ協奏曲第2番ハ短調


ラフマニノフとピアノ曲

ピアノ協奏曲第2番ハ短調op.18

切ないメロディが大人気のピアノ協奏曲

古今のピアノ協奏曲のなかでももっとも人気のある作品のひとつ。
新進作曲家だったラフマニノフは、1897年に発表した意欲作、
交響曲第1番が酷評されて自信を喪失、
ノイローゼ状態で作曲もできなくなってしまう。
周囲のすすめで著名な精神科医ニコライ・ダール博士を訪れ催眠療法を
受けたことで回復、ふたたび作曲にとりかかることができた。


そこで1901年に完成させたのがピアノ協奏曲第2番。
第1楽章は、荘重な鐘の響きのようなピアノの和音ではじまる。
続いて登場するピアノの分散和音にのせてクラリネットと弦楽器群が演奏する
うねるような第1主題と、高揚がしずまってピアノに現れるエレガントな第2主題。
第2楽章はラフマニノフならではのロマンティシズムが全編をおおいつくしている。
第3楽章は、カデンツァのあとに現れる弾むようなメロディと、
それが落ち着いたあとオーボエとヴィオラが奏でるのびやかな
メロディとが展開して華麗に盛り上がる。

ラフマニノフとピアノ曲


ラフマニノフとピアノ曲

ロマンティックで濃厚なピアノの世界を作り上げたロシアの作曲家

リストやショパンの系譜に連なる20世紀前半を代表する
ヴィルトゥオーソ・ピアニストとして活躍したラフマニノフ。
ヨーロッパとアメリカをまたにかけた演奏活動が多忙だったせいもあり、
創作に割く時間が限られてしまった。
残された作品はあまり多くはないが、
ピアノ曲を中心に充実した作曲活動を展開した。
西欧の洗練性とロシアの民族色とを融合させた
チャイコフスキーの正統な後継者というに
ふさわしいロマンティックで甘く切ないメロディが
なんといっても彼の音楽の魅力。


活動した時代を考えると保守的な作風だが、
エレガントな憂愁をたたえた作品は広く愛されている。
4曲あるピアノ協奏曲はいずれも名作だが、
特に第2番と第3番は演奏機会も非常に多いラフマニノフの代表作。
<パガニーニの主題による狂詩曲>は
パガニーニによる高名なメロディを変奏していく実質的な協奏曲。
ピアノ・ソロのための作品では、ピアノ・ソナタ第2番、前奏曲集、
練習曲集<音の絵>などがよく知られている。

ラヴェル 水の戯れ


ラヴェルとピアノ曲
水の戯れ
水の動きを生き生きと描写した絵画的な名曲

若きラヴェルの出世作となった作品で、
絵画的な描写力に優れ、流れ落ち、
飛び跳ねる水の諸相を生き生きと表現している。
同時代のライヴァルと目されていた17歳年長の
ドビュッシーにも相当の影響を与えたとされる革新的な傑作である。
この曲は師であったガブリエル・フォーレに捧げられている。


コンセルヴァトワールで教鞭を執っていたフォーレは、
当時在学していたラヴェルとは師弟関係にあり、
ラヴェルの音楽に大きな影響を与えた。
慎ましい性格の人物であったと伝えられるフォーレは、
ラヴェルが音楽院から正当な評価を与えられず、
「ローマ賞」という権威ある賞を受賞できなかったという事件が
社会問題化した際、「あの穏やかなフォーレ先生が……」と
周囲を驚かせるほどの猛抗議を音楽院のお歴々にぶつけたという。
ラヴェルは、長じてフランスを代表する作曲家となったあとも、
若き日に師から受けた恩義を終生忘れることなく、
後年、フォーレの名の綴りを音名に見立てた作品なども残している。

ラヴェルとピアノ曲


ラヴェルとピアノ曲

ピアノを使って多彩な音楽を作り出す魔術師

モーリス・ラヴェルは、パリ・コンセルヴァトワール在学中から、
斬新で個性的な作品を発表し、物議を醸しつつも、
早くからその存在を認められていた。
特にピアノ作品は、親友のピアニスト、
リカルド・ビニェスが積極的に彼の作品を
初演したこともあって、当時のパリ楽壇をおおいににぎわした。
自身の管弦楽作品のピアノ編曲(あるいはその逆)も多く、
全作品に占めるピアノの位置は大きい。
ラヴェルの作品個々には、彼の生い立ちや嗜好が
反映したような性格が見られる。


例をいくつか挙げるなら、
彼の母がスペイン系であったことに影響された
スペイン趣味(<道化師の朝の歌>)、技師であった父に影響され、
メカニカルなものへの興味から発した古典への回帰
(<ソナチナ><クープランの墓>)、怪奇趣味(<夜のガスパール>)、
戦争の影響(<クープランの墓>)、ジャズの影響(ピアノ協奏曲)などなど。
こうしたいろいろな曲に接していくにつれ、
ラヴェルがじつに多面的な人間であったことがうかがえる。

ドビュッシー 亜麻色の髪の乙女


ドビュッシーとピアノ曲
亜麻色の髪の乙女
ひとつひとつのおしゃれな和音を味わいたい一曲

<前奏曲集>全2巻24曲は、ドビュッシーのピアノ作品中の
頂点にある作品と言っても過言ではないであろう。
もともとショパンの<前奏曲集>op.28(全24曲)を
強く意識して書かれた曲集であるが、
自由闊達な音楽の運びと、凝りに凝った作曲技法の駆使によって、
まさに近代のピアノ音楽を代表する名作として認められるに至った。


すべての曲の終わりの部分に表題と
おぼしき言葉が記されているのも特徴で、
<野を渡る風><雪の上の足跡><月の光の降り注ぐテラス>
といった調子の詩的なタイトルは、
聴き手の想像力に訴えてくるものばかりである。
<亜麻色の髪の乙女>は、この<前奏曲集>第1巻の第8曲にあたり、
曲集のなかでは、おそらくもっとも有名な作品である。
19世紀フランスの詩人ルコント・ド・リールの同名の詩から
インスピレーションを得て書かれた曲で、夏の朝、
スコットランドの草原にたたずむ乙女の姿を
描いた透明感あふれる曲である。

ドビュッシーとピアノ曲


ドビュッシーとピアノ曲

パリの流行を取り入れた色彩豊かなピアノ曲を作曲

クロード・ドビュッシーは、
19世紀に隆盛を迎えたフランス音楽に
新しい局面をもたらした天才である。
彼の作品は、繊細な感覚から生み出される斬新な響きや、
微妙に揺れ動く音階を多用して柔らかに浮遊する
透明な旋律といった特徴を有している。
それらは、その時代までに体系付けられていた音楽理論の規範を
大きく踏み超えて、新たな時代への扉を開いたもので、以後、
多くの作曲家がドビュッシーの音楽から影響を受けた。


名門パリ・コンセルヴァトワール(国立高等音楽院)の学生であった頃から、
優秀なピアニストでもあったドビュッシーは、ヨーロッパ中世の音楽や、
当時パリで流行した東南アジアの音楽などからの影響のもと、
しゃれや響きに彩られた数多くのピアノ作品を残した。
<ベルガマスク組曲><前奏曲集><版画><映像><子供の領分>など、
幾多の名作に彼独特の作風を聴き取ることができる。

2012年6月2日土曜日

リストラ・カンパネッラ


リストとピアノ曲

ラ・カンパネッラ
圧倒的な迫力と華麗な超絶技巧が堪能できる一曲

天才ヴァイオリニスト、パガニーニの演奏を聴いて、
ピアノのパガニーニになることを決意したリストが、
その技巧をピアノに移し替えることを試みた作品。
1838~40年作曲(1840年出版)の
<パガニーニによる超絶技巧練習曲集>を1851年に
改訂し、同年<パガニーニ大練習曲集>として
出版された全6曲の曲集のなかで、
第3曲にあたるのが、この<ラ・カンパネッラ>。
リストといえばこの曲というくらいの人気作だ。


パガニーニのヴァイオリン協奏曲第2番の第3楽章<鐘のロンド>が原曲で、
イタリア語で「鐘」をさすタイトルのとおり、高音域で鐘の音が模される。
短い前奏に続き、右手に高音の装飾がつけられたテーマが現れる。
このテーマがつぎつぎと技巧的な装飾をまといながら変奏されていく。
しだいに凄みを増していき、最後は圧倒的な迫力のなか華麗に結ばれる。
曲集は当時やはりヴィルトゥオーソ・ピアニストとして活躍した
クララ・シューマンに献呈された。

リストとピアノ曲


リストとピアノ曲

19世紀最大のヴィルトゥオーソ・ピアニスト

リストの創作活動は、ピアニスト時代(~1847年)、
ワイマール宮廷楽長時代(~1860年)、
ローマに移り住んで以降の晩年(~1886年)という
大きく3つの時期に分けられるが、
ピアノ曲は生涯を通じて作曲されている。
ピアニスト時代には、19世紀最大のヴィルトゥオーソ(超絶技巧)
・ピアニストといわれたリストらしく、
<超絶技巧練習曲集>やオペラの編曲作品など、
スーパー・テクニックを披露するような作品が目立つ。


<巡礼の年第2年 イタリア>や<詩的で宗教的な調べ>なども
この時期に書きはじめられている。
ピアニストとしては一線を退いたワイマール時代は、
作曲活動に重点を置き、
過去の作品の大幅な改訂も手がけている。
<巡礼の年第1年 スイス>や<コンソレーション>、
ピアノ・ソナタといった内容の濃い代表作が誕生したのはこの時期。
そして晩年には孤高へと至る。
調の概念からも解き放たれ<巡礼の年 第3年><不吉な星><暗い雲>
<悲しみのゴンドラ>などの深遠な作品を残している。

シューマン クライスレリアーナ


シューマンとピアノ曲

クライスレリアーナ
揺れ動く感情が緻密に表現された逸品

第1曲冒頭の低音に現れる音型で各曲が
緊密に構築された巧みな構成と、
あふれる詩情とが見事に結びついたシューマンの最高傑作。
ドイツ・ロマン派の作家で音楽家でもあったE.T.A.ホフマンの短編集
「カロ風の幻想小品集」に収められた
「クライスレリアーナ」からタイトルがとられた。
この短編の主人公である楽長クライスラーの
エキセントリックなキャラクターがシューマン自身を投影しながら描かれる。


以下の全8曲からなる。
襲いかかる嵐のような第1曲<激しく動いて>、
思いやりにあふれた歌と快活なリズムが交叉する第2曲<心をこめて、速すぎずに>、
不気味なリズムと優雅な中間部の対比が鮮やかな第3曲<激しく駆り立てられて>、
心の平安を求めるかのような第4曲<きわめて遅く>、
とまどうような第5曲<非常に生き生きと>、
重々しく格調ある第6曲<きわめて遅く>、
最初の嵐がふたたび襲いくる第7曲<非常に速く>、
屈折したおかしみのある第8曲<速く、諧謔的に>。
ショパンに献呈された。

シューマンとピアノ曲


シューマンとピアノ曲

詩情あふれるピアノ曲を残したドイツの作曲家

ピアニストを目指して猛特訓に励みながら、
指の故障から演奏家をあきらめたシューマンだが、
それでもピアノはいちばん身近な楽器だった。
シューマンの創作活動の特徴としては、
歌曲の年(1840年)、交響曲の年(41年)、
室内楽の年(42年)などのように、
特定のジャンルに集中的に取り組んだことが挙げられるが、
歌曲の年以前にはもっぱらピアノ曲が作曲されている。


文学的な内容をもった作品が多いことも特色で、
シューマンのペンネームであり、自身の二面性の投影である
フロレスタンとオイゼビウスという架空の人格が
いくつかの作品に密接に関わっている。
<子供の情景><クライスレリアーナ>以外の代表作としては、
巧妙なしかけをほどこささた最初の傑作<謝肉祭>、
画期的な意欲作<交響的練習曲>、詩情あふれる<森の情景>や、
<アベッグ変奏曲><蝶々><ダヴィッド同盟舞曲集>
<幻想小曲集><幻想曲><アラベスク><フモレスク>、
3曲のソナタなどが挙げられる。
ピアノ協奏曲もファンタジー飛翔する名作。

ショパン 革命


ショパンとピアノ曲
革命
激情に駆られるショパンの内面を描いた傑作

ショパンの練習曲(エチュード)は、
op.10の12曲、op.25の12曲、
<3つの新しい練習曲>の全部で27曲ある。
op.10はワルシャワ時代から書きはじめられ、
パリに到着した後、1833年に出版された。
知り合ってほどないリストに献呈され、
リストもこの曲をとても気に入って愛奏したという。
<革命>はそのop.10の12曲目にあたる。


ワルシャワを旅立ったショパンは、
パリへと向かう途中のシュトゥットガルトで、
愛する故国の革命が失敗に終わり、
ワルシャワがロシアに占領されたことを知る。
故国の窮状と友人・家族たちの困難を案じて
「どうして自分はひとりのロシア人も殺せないのか」と書き綴った。
そんななか作曲されたのが(革命のエチュード)。
痛烈な和音の一撃とともに開始早々音の奔流に飲み込まれる。
吹き荒れる嵐はやがて静まるかと思うと、最後に強烈な痛打が待っている。
繊細で優美なショパンとは別の激情に駆られる一面を見る思いがする。

ショパン 雨だれ


ショパンとピアノ曲
雨だれ
清らかなメロディが印象的なピアノの名品

1838年秋、ショパンはサンドとともに
地中海に浮かぶマヨルカ島へ渡る。
パリでのゴシップを避けるためと病弱な
ショパンの療養を兼ねた旅だった。
滞在中、古い修道院で暮らしていたが、
<24の全奏曲>はここで完成された。
尊敬するJ.S.バッハの<平均律クラヴィーア曲集>
にならない24のすべての調をもちいて全曲が構成され、
配列も考え抜かれている。
曲の長さも雰囲気もさまざまなのに不思議な調和があり、
24曲全体でひとつの作品として見事なまとまりがある。


この<雨だれ>は第15番にあたり、
単独でも取り上げられる有名な作品。
ほかの曲は30秒から3分ほどの長さのところ、
<雨だれ>だけは5~6分かかり、
全曲中でもポイントとなる。
ある嵐の夜、夜半過ぎにサンドが修道院に戻るとそこでは
ショパンがひとりピアノを弾き続けていた。
その曲が<雨だれ>だったという
真偽は定かでないエピソードがある。
歌心にあふれた清らかなメロディにはじまり、
重苦しい中間部を経て、最初のメロディが戻る。

ショパン ピアノ・ソナタ第2番変ロ短調<葬送>


ショパンとピアノ曲
ピアノ・ソナタ第2番変ロ短調op.35<葬送>

陰鬱で悲劇的な<葬送行進曲>はあまりにも有名

ショパンの残した3つのピアノ・ソナタのうち、
第1番は習作とされ演奏の機会はあまりない。
残る第2番<葬送>と第3番は質量ともにコンサートの
メイン・プログラムにふさわしい傑作。
この第2番は、ジョルジュ・サンドと交際がはじまって
最初のノアン滞在中の1839年に完成された。


第3楽章の<葬送行進曲>のみ
1837年に独立した曲として作曲されている。
重苦しさのなかはじまる第1楽章はソナタ形式。
せわしなくどこか不安な感じの第1主題と
ゆったりと穏やかな第2主題が対照的。
スケルツォの第2楽章は、威圧的な調子で進む。
優しさのにじむ中間部でつかのまの安らぎを得るが、
ふたたび切迫感にとらわれる。
第3楽章は有名な<葬送行進曲>。
重々しい左手の低音とともに葬列は進む。
ふと故人を振り返るような中間部をはさんで、
ふたたび葬列は歩みはじめる。
わずか1分半ほどの短い終楽章は急速な3連符の動きだけで
構成された不思議な楽章。

ショパンとピアノ曲


ショパンとピアノ曲

ピアノにすべてを注ぎ込んだ繊細な作曲家

ピアノの詩人とも呼ばれるショパンの残した作品は、
いくつかの室内楽曲と歌曲のほかはすべてがピアノ曲
(オーケストラをともなった作品を含む)。
作品番号は74までと、39年という短い生涯を考えても
けっして多いとはいえない数だが、そのいずれもがポーランドの
民族色とパリの洗練をあわせもち、
独特の優美さと繊細さをたたえた名作で、
ほとんどが現在でも演奏され続けている。
ショパンの創作期間は通常以下の3期に分けられる。


古典的な様式と民族的要素が結びついて
ショパン独自のスタイルが形作られた初期(~1831年、ワルシャワ時代)には、
2曲のピアノ協奏曲などが書かれている。
中期(1831~40年頃)には作曲技術の習熟とともに表現の幅も広がる。
ソナタ第2番<葬送>、<24の前奏曲>などがこの時期の作品。
後期(1841年以降)になると構築性と様式感を消化したうえに
彼ならではのポエジーが加わって作品はいちだんと深みを増す。
ソナタ第3番、<幻想ポロネーズ><舟歌>などの傑作群が生まれた。

ベートーヴェン ピアノ・ソナタ第23番ヘ短調


ベートーヴェンとピアノ曲

ピアノ・ソナタ第23番ヘ短調op.57<熱情>
ピアノの可能性を拡大させた情熱的なピアノ・ソナタ

ウィーンで活動をはじめて10年ほどが過ぎ、
ベートーヴェンの名はヨーロッパ中に知れ渡っていた。
この曲を作曲する直前には、フランスのエラール社という
ピアノ・メーカーから、最新型のピアノを贈られる。
それは非常に大型で重い楽器であったが、
それまでのピアノに比べて音域が広かったとされる。


それゆえ、この曲を書く少し前から彼もピアノ作品で
使われる音域はいちだんと広くなった。
ベートーヴェンが新しい楽器の可能性を限界まで追求して作品に
反映させていった好例のひとつであろう。
<熱情>という表題はこの曲の第1楽章、
第3楽章に聴かれる情熱の嵐が吹きすさぶような曲調から、
楽譜の出版社が出版の際に付けたものである。
暗く静かに地の底からわき上がるように開始される第1楽章は、
起伏の豊かな音楽が情熱的に演奏され、
ゆったりと穏やかな第2楽章を経て、
激しい和音の強打で開始される第3楽章は
めまぐるしい旋律の動きが奔流のように荒れ狂う。

ベートーヴェン ピアノ・ソナタ第8番ハ長調


ベートーヴェンとピアノ曲

ピアノ・ソナタ第8番ハ長調op.13<悲愴>
ベートーヴェンの悲愴感が込められたドラマティックな名曲

ベートーヴェンが故郷のボンから大都会ウィーンに
出てきて間もない頃の作品で、彼のピアノ作品としても
比較的初期のものであるが、鍵盤の上から下までフルに
使った旋律の大胆な動きや、突然の音量変化など、
ベートーヴェン特有の振幅の大きな表現がすでに確立している。


ベートーヴェンがみずから表題を付けた
ピアノ・ソナタはたった2曲しかなく、
この<悲愴>がそのひとつであるが、
曲の内容を非常に簡潔なかたちで聴き手に示唆している。
曲は、速い-ゆっくり-速いの3つの楽章からなる。
第1楽章はソナタ形式だが、荘重で訴えかけるような序奏が
付けられているのが大きな特徴。
序奏後に現れる旋律は、急速に迫り来る悲愴感を描写していて、
不安をかき立てる。
感傷と優しさに満ちた第2楽章を経て、
第3楽章では動きのある調べが京切な雰囲気をかもし出し、
激しくなだれ落ちるように曲を閉じる。

ベートーヴェン ピアノ協奏曲第5番変ホ長調


ベートーヴェンとピアノ曲

ピアノ協奏曲第5番変ホ長調op.73<皇帝>
華麗で気高く、自身に満ちた傑作ピアノ協奏曲

ベートーヴェンが書いたピアノ協奏曲(第1番~第5番)は、
どれも演奏される機会が多いが、そのなかでももっとも
親しまれている作品であるといえよう。
最大の魅力は、なんといってもその華麗で勇壮な曲調にある。
颯爽たる推進力を感じさせる音楽は、
まさにベートーヴェンの真骨頂、
傑作<英雄>交響曲をも連想させる格好良さである。
<皇帝>という愛称は、こうした雄々しい曲調が
「皇帝」的な堂々として気高い雰囲気をもっていることから
付けられたという解釈が一般的である。


全オーケストラが鳴らすひとつの和音にのって、
ピアノ独奏が華やかに駆け上がり駆け降りるという
たいへん印象的な冒頭にはじまる第1楽章、夢見るような弦楽器の
旋律に導かれてピアノが祈りを込めるような美しいメロディを歌う第2楽章、
その静寂を破るように激しいピアノ・ソロからはじまり、
オーケストラの質実でたくましい音楽を導き出す第3楽章と、
いずれの楽章も独奏とオーケストラが一体となった、完成度高い傑作である。

2012年6月1日金曜日

ベートーヴェンとピアノ曲


ベートーヴェンとピアノ曲

ロマン派の扉を開く革新的なピアノ曲を作曲

ドイルの宮廷音楽家の家系に生まれ育ったベートーヴェンは、
厳格な父の音楽教育を受けて、幼少の頃からことにピアノの演奏には
非凡な才能をみせ、7歳で公開の演奏会を開いたと伝えられている。
20代前半に、当時の音楽文化の中心地ウィーン上京、
数年後に自作のピアノ協奏曲第2番を弾いてこの地でのデビューをとげ、
ピアニストとして、また作曲家として大成功を収めた。


ベートーヴェンの時代、ピアノという楽器は非常な進歩をとげる。
楽器の大きさが大きくなるにつれて、音域が広くなり、
また、ハンマーで打たれる弦が太く丈夫なものになるにつれ、張力が増し、
より大きな音量を出すことが可能になっていく。
こうした新しい楽器の可能性を限界まで追及した実験精神にあふれた曲作りと、
激しい打鍵から繰り出す超絶的な演奏とで、
ベートーヴェンは一躍時代の寵児となったのである。
その作品群は、「古典派」の完成を高らかに告げ、
「ロマン派」の時代へと扉を開く革命的なものばかりである。

モーツァルト 2台のピアノのためのソナタニ長調


モーツァルトとピアノ曲

2台のピアノのためのソナタニ長調K.448
のだめ&千秋ペアも演奏した2台ピアノの定番曲

モーツァルトが書いたピアノ・ソナタと呼ばれる曲種のなかには、
奏者2人が弾く、つまり4手のための作品が何曲かある。
そのうち、1台のピアノを2人で弾く、
いわゆる「連弾」のためのソナタは4曲書かれているが、
2台のピアノを使うピアノ・ソナタはこの1曲のみである。
この曲はモーツァルトがウィーンに上京し、
独自の音楽活動をはじめて間もない1781年に、
弟子のヨゼファ・バルバラ・アウエルンハンマー嬢と演奏するために
作曲した作品とされている。


モーツァルトはこの弟子に数曲のヴァイオリン伴奏付き
ピアノ・ソナタも献呈しており、そのピアノのウデは評価していた。
曲は速い-ゆっくり-速いの3つの楽章からなっており、
ピアノ2台というメリットをいかして、
豊かな響きで堂々とした音楽が構築されている第1楽章は、
2006年に話題になったテレビドラマ「のだめカンタービレ」で主人公2人が
はじめて合奏した曲なので覚えておられる方も多いだろう。
2台のピアノが交互にメロディを囁き交わすような第2楽章も美しい。

モーツァルト ピアノ・ソナタ11番イ長調


モーツァルトとピアノ曲

ピアノ・ソナタ11番イ長調K.331<トルコ行進曲付き>
トルコ風の香りをたたえた大人気のピアノ曲

終楽章の<トルコ行進曲>はあまりに有名で、そのおかげもあって、
モーツァルトのピアノ・ソナタのなかでいちばんの人気を博している。
オスマン・トルコ軍がウィーンを包囲したのが1683年。
この曲はその100年ほど後に作られた曲である。


当時、ウィーンではトルコ風の音楽が人気を博しており、
モーツァルトと同時代に活躍したベートーヴェンも<トルコ行進曲>を書いたり、
有名な<第九>交響曲のなかにトルコ風の打楽器を登場させたりしているし、
モーツァルト自身も、この曲のほかに、俗に<トルコ風>という愛称で呼ばれる
ヴァイオリン協奏曲第5番や、トルコ・ムード一色の<後宮からの誘拐>
というオペラなどを書いている。
曲は3つの楽章からなる。
第1楽章は、はじめに登場した旋律が、
姿かたちを変えながら何度も繰り返される
「変奏曲」という形式になっている。
第2楽章は「メヌエット」という3拍子の優しげな舞曲である。

モーツァルト ピアノ協奏曲第21番ハ長調


モーツァルトとピアノ曲

ピアノ協奏曲第21番ハ長調K.467
端正で気品にあふれたモーツァルト絶頂期のピアノ協奏曲

モーツァルトの数々の傑作のなかでも、
生涯の最後10年を過ごしたウィーンで
作曲された曲は、また格別の魅力を有する名曲ぞろいである。
そのウィーン時代のなかでも、
このピアノ協奏曲第21番が作曲された1785年は、
モーツァルトが売れっ子作曲家としての絶頂期にあった年であり、
作品内容もみな充実したものばかりである。


この曲は、モーツァルトが主催した演奏会でみずから
独奏者として演奏するために書いた協奏曲であるが、
同じ時期に同じ目的で書かれた劇的で激情的な第20番とは
まったく正反対の性格をもっていて、端正な気品にあふれた名曲である。
モーツァルトの時代の協奏曲に一般的であった、
速い-ゆっくり-速いという3つの楽章から構成されており、
堂々としたサウンドのオーケストラを従えたソナタ形式の第1楽章、
しっかりとした美しさをたたえた第2楽章、
軽妙な足取りでピアノが妙技を聴かせる第3楽章からなっている。

モーツァルトとピアノ曲


モーツァルトとピアノ曲

ピアノとともに生涯を歩んだ天才作曲家

モーツァルトは、幼い頃より天才的なピアニストとして
「神童」の名をほしいままにし、ヨーロッパ各地を演奏旅行して好評を博した。
ヴァイオリンの腕前も相当なものだったというモーツァルトだが、
本人は「ヴァイオリンはあまり好きではありません」と書簡に書き残しており、
やはりいちばん意のままになる楽器はピアノだったと思われる。


作曲のほうは、最初のピアノ曲を、
なんと5歳になったばかりの頃に書いたとされている。
それから亡くなる年まで文字通り一生の間、
ピアノのための作品を書き続け、27曲の協奏曲、
17曲のピアノ・ソナタをはじめとする膨大な数の傑作を残した。
なかでもピアノ協奏曲には、モーツァルトが
ウィーンで生活資金を集めるために頻繁に開催した
「予約演奏会」のプログラムとして書かれた作品も多く、
そうした作品は、もちろん作曲者自身が独奏者となることを
想定して書かれたため、
モーツァルト作も「カデンツァ」が残っている。

ピアノの名曲を聴こう ピアノ協奏曲イ短調


ピアノの名曲を聴こう
グリーグ
ピアノ協奏曲イ短調op.16第1楽章
北欧の清々しさに満ちたグリーグの代表作

エドヴァルド・グリーグは、ノルウェーを代表する作曲家で、
故国では紙幣になるほどの国民的人気を博している。
若き日、ライプツィヒ音楽院に学び、
ドイツ系作曲家の影響を強く受けたが、
帰国後は、ドイツの影響から脱却して、
同郷の作曲家らとノルウェー音楽の推進に努めた。
そのため民謡をベースにした作品、
民族楽器を模した効果を取り入れた作品なども多い。
北欧独特の澄んだ抒情をたたえた美しい音楽は
世界中の聴衆から愛されている。


このピアノ協奏曲はグリーグが25歳の年に書いた出世作であり、
古今のピアノ協奏曲のなかで、もっとも有名な曲の
ひとつと言っても過言ではなかろう。
特徴的なのはなんと言っても第1楽章の冒頭で、
大波のように立ち上がるティンパニの連打に導かれ、
波頭が一気に砕けるように劇的にピアノが登場する。
この激しい序奏のあとに、ノルウェーの氷河を
思わせる寂寞とした音楽、切々と胸に訴えるような旋律が次々と現れ、
聴き手はグリーグの世界に引き込まれていくのである。

ピアノの名曲を聴こう ピアノ協奏曲第1番ホ短調


ピアノの名曲を聴こう
ショパン
ピアノ協奏曲第1番ホ短調op.11第2楽章
ナイーヴな内面を表すピアノ協奏曲の傑作

ショパンの2曲のピアノ協奏曲は、第1番ホ短調が1830年、
第2番へ短調が1829年に作曲されているのだが、
出版順の関係で作曲年と番号が逆になっている。
この第1番は、勇壮で華麗な第1楽章、抒情的な第2楽章、
軽快で技巧的な第3楽章の全3楽章からなり、
全曲で40分ほどもかかる堂々たる大曲。


第1楽章が全体の半分を占めている。
「ロマンティックで穏やかで、少し憂鬱な気分。
美しく明るい春の月夜に、
なつかしい思い出の数々を呼びおこさせる」と
親友への手紙に記した第2楽章は、
ロマンス(ロマンツェ)と題されたゆったりとした楽章。
音を弱められた弦楽器に導かれて、
ささやきかけるようなメロディをピアノが静かに歌い始める。
やわらかい弦楽器の伴奏にそっと寄り添いながらたっぷりと歌われていく
甘いピアノの調べは、恋のときめきのように胸を熱くする。
やがてオーケストラが静まり、オルゴールのような短いソロをはさみ、
すっと空中に溶け込むように終わる。

ピアノの名曲を聴こう 愛のあいさつ


ピアノの名曲を聴こう
エルガー
愛のあいさつ
抒情的で美しいメロディが世界中で愛される名曲

エピソード
サーの称号をもつ国民的作曲家エルガーも、不遇の時代は意味に長く、
彼がようやく認められたのは、40歳を過ぎてからのことであった。
<愛のあいさつ>は成功前の作品であったため、
出版社は二束三文でこの世界的名曲の版権を買い取ったと伝えられている。


エドワード・エルガーは19世紀末から20世紀初頭のイギリスの作曲家である。
イギリスは、17世紀のヘンリー・パーセルという大作曲家が活躍した時代以降、
音楽的には低迷期が続いたが、エルガーはそこに登場して数々の名曲を作り、
20世紀イギリス音楽復興の時代を開いた作曲家として評価されている。
彼の代表作のひとつである行進曲<威風堂々>第1番の中間部のメロディは
「イギリス第二の国歌」として国民から愛されている。
この<愛のあいさつ>は、彼が結婚する前に、
のちのエルガー夫人となる女性のために
書いた作品で、この曲を贈った1ヶ月後にふたりは婚約した。
ヴァイオリンやオーケストラへの編曲版でも盛んに演奏され、
抒情的で美しいメロディが世界中で愛されている名曲である。

ピアノの名曲を聴こう トロイメライ

ピアノの名曲を聴こう
シューマン
トロイメライ
比類ない繊細さと美しさをたたえた名曲

わずか2分半ほどのあいだに、ノスタルジックな思い出が
つぎつぎと浮かびくる不思議な豊かさをもった小品。
1838年、シューマン27歳の春に作曲され、
翌年出版された小品集<子供の情景>の第7曲にあたる。
タイトルの<トロイメライ>はドイツ語で夢を見ること、
夢想することを意味している。


シューマンのピアノ曲のなかでももっともよく知られた作品で
単独でもひんぱんに取り上げられている。
穏やかで優しい夢をみるようなゆったりした
メロディが少しずつ変化をみせながら
8回繰り返されていくという単純な構成ながら、
そのなかにはちょっと触れただけこわれてしまいそうな
繊細さが秘められ、その美しさは比類がない。
技術的には子供でも弾けるくらいに書かれているが、
シンプルなだけに解釈面の難しさがあるだろう。
シューマン自身、これは子供のための作品ではなく、
年をとった人の回想で、大人のためのものなのです、と言っている。

ピアノの名曲を聴こう ピアノ・ソナタ第14番嬰ハ短調

ピアノの名曲を聴こう
ベートーヴェン
ピアノ・ソナタ第14番嬰ハ短調op.27-2<月光>第1楽章
しみじみとした味わいの革命的なピアノ・ソナタ

ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの名前は
クラシック音楽の代名詞と言っていいほど有名なものだろう。
ドイツ・オーストリアを代表する大作曲家としてさまざまな
ジャンルに多くの傑作を残したが、ピアノに関しては32曲のソナタと、
5曲の協奏曲のほか、変奏曲や、小品なども数多く書いている。


特に32曲のソナタはピアノ音楽の「新約聖書」にもたとえられ、
ピアニストのレパートリーとしてはもっとも重要なものに数えられるだろう。
<月光>という表題で呼ばれることの多い、
このソナタ第14番は、作曲者31歳のときの、全3楽章からなる作品。
この曲が作曲された当時、ピアノ・ソナタの第1楽章には
速いテンポを用いるのが普通とされていたが、
ベートーヴェンはゆっくりした静かな伴奏にのせた、
息の長い幻想的なメロディをソナタ形式にのせて奏でている。
「古典派」の殻を破るさまざまな「革命」をやってのけた
この作曲者らしい、ロマンティックな味わいに満ちた楽章である。